:8−5:

 

貯水システムの建設は二ヶ月ほどで完了した。

幸い、メッジモークには干上がったオアシスの跡地が有り余っていたから、その中の一つを貯水用の堀とし、傍に直径20mもある罐(かま)と、湖の水を一時的に注ぐタンクを造った。
地底湖の水は何故か塩分が高すぎて、飲用水として使うには、一度水分を蒸発させる必要がある。よってタンクの水を一度沸騰させ、蒸発させた水をクレーターの中に溜め込む手間が必要だった。

そして、最後に溜めた水が蒸発してしまわないよう、警備の意味もかねてその上に神殿を建てる。
無駄に時間がかかる神殿などにしなくても、もっと適当な施設でも良いだろうと俺は思ったのだが、信仰深い陛下のご決断とあらば仕方ない。

後は、地底泉から水を運び込むだけだ。あれだけの水を運ぶには、何度も行き来しなければならないが、こればかりはどうしようもない。一度に運ぼうとして事故がおきた時を考えると、慎重な方が良いだろう。

リアサーラと共に出発した第一隊はそろそろ着いた頃だろうか。
そんな事を考えながら、罐の準備を始めようと動いた俺の前に、突然魔方陣が出現した。

「り、リトっ…!お、お願いです、止めさせて下さいっ!!」

いつになく青ざめた顔で現れたマリーンは、俺の姿を見るなり、涙を浮かべてそう叫んだ。

 

 

 

さかのぼる事少し前。

私は、宮廷庭の噴水に腰かけて、いつものように水遊びをしていました。
なんだか人の姿で水浴びをするのは変な感じがします。濡れた服をすぐに乾かす事もできなくて、不便極まりありません。

はぁ…私は一体どうしてしまったんでしょう。

リトがここに居ても良いって仰って下さったのはとても嬉しかったです。
でも、だからこそやはりお役に立ちたいのに…私の精霊としての力…それも水の女神アスターナ様から頂いた力だけ日に日に弱っているようなのです。

溜息吐きながら、浸らせた両足を意味なくばたつかせた私の耳に、声が聞こえてきたのはそんな時でした。聞こえるというよりも、頭に響くような囁き。

 

『帰ってきて。』

『帰ってきて。』

『ママ、ママ、帰ってきて。』

 

最近、水に近づくと聞こえるようになった声。
不思議だけど、不快感は無くて、むしろ愛しさすら感じるような声。
でも、帰ってきて…といわれても、私はどこに帰れば良いのでしょう?
一番強く聞こえたのは、あの地底湖でしたから…そこに行けば何か解るのでしょうか。
そんな事を思った瞬間、柔らかな輪唱が、突如悲鳴に変わったのです。

 

 

『助けてっ!!』

 

 

どくんと心臓が弾けて、まるで早鐘のように鳴り出す。
どうしよう、どうしよう助けなきゃ。
何を?誰を…?そんな疑問を考える余裕が無いぐらい焦燥ばかりが募って気がつけば私は転移魔法を唱えていたのでした。

白い空があっという間に青い暗闇へと反転して、気がつけば目の前に大勢の人が立っていました。さまざまな器具を手に持った人々は、突然現れた私に手を止めて何事かというように私に視線を浴びせかけてきます。
ど、どうしましょう、勢いで来てしまいましたが、私一体何がしたいんでしょう。

「女神の使者様!?」

自分の行動に困惑していた私の耳に天の助けとばかりに届いてきたのはオルドスさんの声でした。

「どうなされたのですか?隊長のおつかいですか?」

駆け寄ってきて私の頭をぽむぽむと撫でるオルドスさん。
もうこの子供扱いには諦める他ないのかもしれません。

「あの、皆様なにをしてらっしゃるのですか?」
「ああ、女神の使者様はご存知なかったのですか。隊長の命により、泉の水を運び出している所なのですよ。」
「泉の水を…運び出す…?」

それが間違いであるとは微塵も思っていない、誇らしさすら滲ませた声で言い渡された事実に、私の体を、まるで雷に打たれたかのような衝撃が走りました。
心臓がどくどくと打ち震え、心を支配するのは、濁流のような激しい、感じた事のない感情。

なに、なに、これ。
こころが、焼け付くように熱い。

「や、止めて下さい!!」

刹那放たれた悲鳴は、自分でもびっくりするほどに悲痛なものでした。
オルドスさんの穏やかな顔に一瞬緊張が走り、けれどすぐに冷静を取り戻したように私の頭を優しくなでました。

「大丈夫ですよ、女神の使者様。心配はいりません。」

大丈夫じゃない、解っていない。
自分の外見をここまで歯がゆく思った事はありません。
今も絶えず急かすような胸の焦りをどう表現したらよいのか解らないまま、私はオルドスさんの袖にしがみつきました。

「違うんですっ…!違います!水を運び出すのは止めて下さい!」
「そうは…申されましても…これは既に国王陛下からも承認頂いたことです。いくら女神の使者様といえど、私の一存で止める事はできません。」
「じゃあ、リトに聞けば良いんですね。」
「え?それは…隊長なら陛下に掛け合う事もできますが、元々これは隊長が起案した事ですし…って…使者様!?」

オルドスさんがその台詞を言い終える間もなく、私は一瞬にして転移魔法を唱えていました。この世界で最も感知し馴れた気配を追って、私は意識を飛ばす。

今すぐ、今すぐに止めさせなければ―――。

 

 

「り、リトっ…!お、お願いです、止めさせて下さいっ!!」

いつになく青ざめた顔で現れたマリーンは、俺の姿を見るなり、涙を浮かべてそう叫んだ。
一体何事かといつもなら皮肉の一つも言ってやる所だが、類を見ない剣幕に圧されて俺は一瞬言葉を失う。

「泉の水を運び出すのは駄目ですっ!!」
「…お前、なんでそれを知ってるんだ?」

真っ先に思い立った疑問はそれだった。
別に隠す理由があったわけではないが、知らせれば自分も手伝うと無鉄砲かつ面倒な事を言い出しかねないと判断し、黙っていたのだ。
まさか、反対して泣きつかれるとは思ってもみなかったが。

「今はそんな事を言っている場合ではありません!速く…速く止めさせて下さい!」
「落ち着け!そんな無茶な要求するなら、せめて理由を言え。」

酷く取り乱して俺の袖にすがりつくように懇願するマリーンの姿に、困惑と共に苛立ちが募ってくる。一体なんだっていうんだ。

「泉が死んでしまうからです!どうして、どうしてこんな事するんですか…!」

泉が死ぬ…?
わけが解らなかった。ぼろぼろと涙を零すマリーンの悲しみの理由も、錯乱の元凶も、皆目検討つかない。けれど、マリーンの涙に濡れたの赤い宝石のような瞳に、初めて浮んだ糾弾の色だけは、まるで槍のように俺の心臓を貫いた。

「いいから一旦落ち着け!突然現れて捲くし立てられても意味が解らん!」
「時間が無いんです!今すぐに…。」
いい加減にしろ!!

厳しい怒号に、マリーンがびくりと震え、怯えたように俺を見上げた。
ついこの間まで教育上の叱咤はあたりまえだと思っていたのに、何故か急に胸が痛み出した自分自身に戸惑う。

「…この政策に携わっている人間は、一人二人じゃないんだ。俺が一言止めると言って止められる問題じゃない。」
「そんな……!」
「それに、メッジモークの現状を考えると、あれだけの水源を使わない手立てはない。」
「民を……救うために……?」
「……そうだ。」
「その為に……泉が死んでも……ですか?」
「泉が死ぬ…?水源はいずれは枯渇するものだろう。」
「………。」

当然のことを言ったつもりだった。
どんなに広大なオアシスも人に獣に利用され、日照りの下いつかは枯渇する。
けれど俺の台詞にマリーンははっと瞳を見開き、それから何かに耐えるようぎゅっと拳を握り締めて俯いた。

「それでも、私は助けます…!」

再び顔を上げたマリーンの目にはもはや迷いはなかった。

「止めてくれないなら、私が、絶対に止めさせます…!」
「っ待て――!」

引き止める為伸ばした手が空を掴む。
静寂が戻った庭園の中で、俺はただ動けずにいた。
炎のように揺らめいていたマリーンの瞳に、決別の意志が浮んでいた事を信じられない気持ちで理解しながら。

 

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